自分史

幼小(2) 

次は 顔面傷だらけ跳び箱を 飛んだら マットを 飛びこえ 顔面傷だらけ 学校から 連絡母親が 迎えに来た 当時 電話が 普及していず「呼び出し」なんて事があった 近所の 電話を持っている人の電話を 連絡先にしていた どんな話し合いだったか わからないが父…

幼・小(1)

幼稚園年長から 東京に住むようになった東京と言っても 工場のある 品川であったどぶで 遊んで 帰ったら バケツで 水を掛けられたドラえもんの空き地みたいな所があり5寸釘で 足を 踏み抜いたり路地で 石蹴りをしたりガキ大将についていったり遊んだ思い出…

生まれるまで(2)

父は 地元の高校を出て 東京の大学へ 進んだ時期が時期のため 学徒出陣で呉に 赴任広島の原爆の後始末に出たそうですその件の話は 一生聞くことが出来ませんでした戦後宮城に 戻ったのですが 祖父は亡くなり二軒隣の味噌屋で 働き始めましたその時 母と知り…

生まれるまで(1)

我が家系の キーワードは 流れ者だろう先祖は 福島藩のでで 理由は分からないが 仙台藩に流れ 家老の陪臣として維新を迎えた食えなくなった 先祖は 商家へ養子に入ったが とうとう食えなくなった 祖父の代に 長男は 満州に流れ 次男は 北海道に流れた私の父…